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神戸地方裁判所 昭和34年(行)30号 判決 1960年3月24日

原告 孫斗八

被告 神戸市兵庫区長

訴訟代理人 今井文雄 外一名

主文

原告の被告に対する

義務確認の訴を却下する。

処分取消請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は、口頭弁論期日に出頭しないで陳述したものと看做した訴状、訴変更の申立書、及び準備書面(第一回)によれば、

「原告の外国人登録証明書の国籍変更登録申請に対し、被告が昭和三四年八月三一日付でなした拒否処分を取消す。

被告は、原告の外国人登録証明書の国籍を朝鮮に書換える義務があることを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。」

との判決を求め、請求原因を次のように主張した。

一、原告は朝鮮慶尚南道陜川郡鳳山面霜見里で生まれた朝鮮人であるが、原告の外国人登録証明書記載の国籍については、従来朝鮮とあつたのを、昭和二五年三月二五日原告において韓国に変更の申請をなし、その変更登録を受けた。

原告は、当時思想的な自覚がなかつたため、就職の必要から単純に考えて右の変更申請をしたが、その後自己の立場及び思想に目覚めるにいたり、思想的にも政治的にもはたまた道義的にも大韓民国を支持できなくなり、朝鮮民主主義人民共和国を自己の国籍として選択することが正しいと考えるようになつた。

そこで、原告は、昭和三三年二月二六日被告に対し、右の事情を述べて原告の外国人登録証明書記載の国籍を韓国から朝鮮に変更してくれるように申請したところ、被告は、昭和三四年八月三一日付書面で、原告の申請を拒否した。

二、しかし、被告の拒否処分は、次に述べる理由により違法である。

在日朝鮮人は、昭和二二年五月二日施行の外国人登録令の適用については外国人と看做され同令所定の登録を義務づけられたのであるが、その登録に当り、国籍はすべて朝鮮と記載された。

その後、日本国と連合国間の平和条約の発効に伴い、在日朝鮮人は、一方的に日本の国籍を喪失せしめられたが、その国籍を取得するべき独立を承認せられた祖国朝鮮は統一国家として独立する前に南北に分割され、分裂したまま北朝鮮に朝鮮民主主義人民共和国政府が、南朝鮮に大韓民国政府が樹立されて対立し、そのいずれもが全朝鮮の正統政府として公認されないままであつて、在日朝鮮人に関する日本国を一方の当事者とする条約ないし協定も成立しておらず、したがつて現在にいたるも公的に承認された「朝鮮」なる国はないので、日本国籍を喪失した在日朝鮮人が国際法及び国際私法上、いかなる国籍を取得したかは明らかでない。

ところで、外国人登録法上の在日朝鮮人の国籍については、現在、便宜上「朝鮮」又は「韓国」と表示されているのであるが、事実上はこの区別が在日朝鮮人の思想的帰属をあらわす一応の標準とされ、「朝鮮」が朝鮮民主主義人民共和国に、「韓国」が大韓民国に結びつけられていて、実質的国籍(将来取得するであろうところの国籍)の選択問題と密接な関係があり、また、何人も国籍を変更する権利を有することは世界人権宣言の認めるところであり、日本国憲法もこれを認めているのであるから、在日朝鮮人の国籍の表示は、申請人の思想ないし便宜により変更登録を認めるべきである。なお、またその区別の標準は、その人の出生地つまり本籍地の場所的(地理的)基準にしたがうよりも、むしろ思想的・政治的信条のいかんによるべきである。

したがつて、原告は、「朝鮮」または「韓国」を自由に選択し得べく、それが濫用に至らず相当の事由があれば外国人登録法第九条による変更登録申請権があるものであり、被告はこの申請に応ずべき法律上の義務があるといわねばならない。

以上の理由により、被告が昭和三四年八月三一日付でなした原告の国籍変更登録申請に対する拒否処分は、外国人登録法第一条及び第九条に違反する違法のものであるから、その取消を求める。これは、同法第九条に関する市町村長の処置に対する不服申立の方法がないため、行政事件訴訟特例法第二条に規定する訴願の裁決を経ないで、本訴を提起する。

三、原告の外国人登録証明書の国籍を韓国から朝鮮に変更することは、外国人登録法第一条の趣旨からすればその変更を妨げる事由は何ら存しないばかりか、むしろ前記のような事情を考慮して国籍変更登録の自由を容認するのが至当であると考えるので、原告は、被告に対し、原告の外国人登録証明書の国籍を朝鮮に書換える義務があることの確認を求める。

ところで、行政権の発動に関係のある法律関係の確認を目的とする本訴のような行政庁の義務確認訴訟が認められるかどうかについては争があるが、行政庁である被告がある行為をなすべきことを法律上き束されている本件のような場合には、裁判所は、法律を適用して被告にその義務があることを判断することができるといわなければならない。

四、なお、被告は本件拒否処分の取消を求める訴の利益がないというけれども、外国人登録証明書における朝鮮または韓国との表示上の区別は、前記のように事実上在日朝鮮人の南、北朝鮮に対する思想的帰属をあらわす一応の規準とされており、実質的国籍の選択問題とも密接な関係があるのであるから、本訴は権利保護の資格ないし利益を有するものである。

被告指定代理人は、本案前の抗弁として、

「本件訴はいずれも却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。」

との判決を求め、その理由を次のように述べた。

一、被告の拒否処分に対する取消を求める訴については、訴の利益がないから、出訴の要件を欠く不適法な訴である。

(一)、原告主張のように、在日朝鮮人は、連合国と日本国との平和条約が最初に効力を発生した日に日本国籍を喪失したが、その後法律上いかなる国の国籍を取得したものと解すべきかは、現在これを公的に定めることができない状況にある。そして、在日朝鮮人の外国人登録上の国籍欄の記載については、「韓国」及び「朝鮮」のいずれかの用語で表示されているが、そのいずれであるにせよ、これは単なる用語の問題であつて、実質的な国籍の問題や国家の承認の問題とは全然関係なく、いわば平和条約によつて日本国籍を失つた朝鮮籍の者を呼称する便宜的な表示に過ぎず、わが国における処遇になんら差異があるわけではない。

(二)、外国人登録法第九条、第一〇条は、登録原票の居住地以外の記載事項に変更を生じた場合について規定を設けているから、登録せられている外国人の国籍に変更が生じた場合には、同条にいう変更登録の問題たり得よう。しかしながら、この国籍が変更する場合とは、当該外国人にかかる当事国の法令により、国籍の得喪があつたと解される国際法または国際私法上の効果が発生した場合をいうものであり、原告主張の如く、単に自己の信条から特定の国を支持し、または支持しなくなつたからとか、その他自己の一身上の都合から任意に国籍を変更したいと考えたからといつて、同条にいわゆる変更登録の事由が生じたものとはいえない。

(三)、原告が自己の信条によりその国籍をどのように表示したいと考えてもそれはもとより自由である。しかしながら、外国人登録上の在日朝鮮人の国籍欄表示が便宜上のものであること、また、その表示を原告主張のような理由で変更する申請権及び変更義務の問題を生じ得ないことに鑑み、原告主張のような変更がなされないからといつて、原告の権利ないし法律上の利益を侵害するいわれはない。

されば、原告には何等の実害を生ずる余地がない本件にあつては、行政事件訴訟における訴の利益が存しない。

二、被告に対する義務確認を求める訴については、司法権の範囲に属せず、不適法なものである。

三権分立上の司法権の性格からみて、公法上の義務確認訴訟は、次の二点だけから考えても、司法権の範囲に属しないものである。

(一)、もし行政庁が作為または不作為をする以前において、裁判所がその義務のあることの確認判決をすることができるとすれば、このような判決は、当該作為または不作為に関する限り最終の権威をもち、行政庁は当然この判決に拘束され、この判決に従つて作為または不作為をせざるを得ないから、実質的には行政庁に対し、裁判所が作為または不作為を命ずるのと同様の結果を招来する。かくては、その結果について責任を負わない裁判所によつて、行政が行われたのと同一の事態が生ずることとなる。このような行政権の行使方法は、内閣が行政権の行使について国会に対して責任を負うという憲法第六六条第三項の規定を空文に帰せしめることとなる。

(二)、行政庁が公法上の作為または不作為をすることは、憲法上行政権に与えられた権能であることは明白である。かように行政権の権能に属するということは、その作為または不作為の事項が、自由裁量事項であると、法規裁量事項であると、き束裁量事項であるとを問わず、その作為または不作為をするか否かの決定を、まず最初に行政権が行うべきことを意味する。したがつて、行政庁が公法上の作為または不作為をするか否かを決定する前に、司法権が発動してかかる義務を確認し行政権を拘束することは、司法権が行政権の地位を侵害するものであり、憲法の三権分立の建前に反する。

次に本案について、

「原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。」

との判決を求め、次のように述べた。

一、原告主張の日時に、変更登録申請書が提出され、これに対し被告が国籍欄の記載を改めず、これを拒否した事実は認めるが、これが違法であることは争う。

二、外国人登録法第九条第一項によれば、外国人は、国籍の変更を生じたときは変更登録の申請をしなければならないとされ、その際、その変更を生じたことを証する文書を提出しなければならないと定められているが、原告から国籍が変更したことを客観的に証する文書の提出はなく、別途にその国籍変更を生じたことを認め得べき資料も存しないのであるから、被告が、原告の登録原票の記載を改めないからといつて何等の違法もなく、また変更すべき義務もない。なお、原告は、在日朝鮮人に対する外国人登録上の「朝鮮」または「韓国」の表示は便宜のものであるから、原告の自由な選択により一方から他方に変更する権利があると主張するけれども、このように便宜の措置を求めるものに過ぎないものは、同法第九条または第一〇条の二に予定するところのものではなく、したがつて、違法の問題を生じ得ない。

理由

一、被告に対する義務確認の訴について。

当裁判所は、行政権の発動に関係のある法律関係の確認を目的とする訴訟、特に行政庁に対し行政行為をなすべき義務の確認を目的とする訴訟は、その判決(当該行政行為に限るが)、行政庁を当然拘束し、行政庁はこれにしたがつて行為をせざるをえないから、行政庁に対し行為を命ずるのと同様の結果を招来し、行政権の地位を侵害することになるので、三権分立の建前からいつて許されないものと考える。

日本国憲法の下に、裁判所は、行政事件についても民事・刑事の事件と同様に審理裁判する権限を有するようになつたが、そのことから直ちに行政に関して生ずる紛争の一切につき裁判する権限を有するということのできないことは明らかであつて、そこには、裁判制度の歴史的発達に由来する司法の実質的意義による限界があるものといわねばならない。すなわち、司法制度は、争の法的判断という裁判作用の論理的性格と、その判断の対象となるべき法律関係の性質からだけで割切つて考えるべきではなく、日本国憲法が立法、行政、司法の三権を、それぞれ独立別個の機関にその固有の権能として分属せしめ、かつ、機関相互に、他の機関の権限を尊重させることとしている三権分立の建前からいつて、そこに自ら一定の実質的内容を持つた司法の概念が存在し、裁判所の権能もそれに限局されると考えられる。

司法は本来何が法であるかの判断をなし法の適用を保障する作用であるから、裁判所は、行政機関のなした判断及び行為の適法性を審査する権限はこれを有するが、自ら行政庁に代つて行政処分をしたり、行政権を監督するような権限は有しない。換言すれば、司法権による行政が許されないことは、司法・行政両権の分立均衡のうえからいつて当然である。そして、行政行為が行政権の権限に属せしめられているということは、それが単なる法律の執行作用でないことから、行政権によつて行政上の法律関係を規律し私人の公法上の権利義務を定めることを一応は行政的判断の結果によらしめていることを意味するのである。したがつて、行政権に自由裁量が認められずその行為をなしまたはなすべからざることが法律上き束されている場合であつても、行政行為に関する法律要件の存否の認定と、それに基づく行為または不行為の決定は、先ず行政権が行うべきであり、その意味では自由裁量が認められる場合とそうでない場合とで本質的に異なるものではない。そこで、行政機関が行政処分をなすべきことを法律上き束されている場合において、裁判所が法律を適用し行政庁に行政処分をなすべき義務があることの確認をするその判断作用は、他の訴訟におけると同様法律上の判断のみであるから、論理的には可能であり、かつ、それには行政庁に対する形成力ないし命令を含むものではないけれども、裁判所のなす公権的判断によつて関係行政庁は拘束を受けその処分をせざるをえないから、事実上行政権の権能を事前に奪い、行為の結果について責任を負わない裁判所によつて行政が行われたと同一の結果を生ずることになるので、行政を行政機関固有の権能とし、かつ、責任行政を認めた日本国憲法の民主原理に反することになる。このように裁判所の判断が窮極において行政権を侵害するに至る場合には、司法権が及ばないと考えるのが相当であつて、ここに司法権の行政権に対する限界があるといわねばならない。

よつて、行政庁に対し行政行為をなすべき義務の確認を求める原告の訴は、不適法なものであるから、これを却下する。

二、被告に対する処分取消の請求について。

被告指定代理人は、原告の訴が訴の利益を欠く不適法なものであるから、訴の却下を求めると主張するが、その理由は、原告の本案の請求が主張自体理由がないからというに帰着する。従つてそれは本案請求の当否の問題であつて、訴を却下する理由とはならない。

次に本案について考えてみよう。

原告が朝鮮慶尚南道陜川郡鳳山面霜見里で生まれた朝鮮人であること、および原告が、昭和三三年二月二六日原告の外国人登録証明書記載の国籍を、韓国から朝鮮に変更してくれるよう申請したのに対し、被告が、昭和三四年八月三一日付書面で、原告の申請を拒否したことについては当事者間に争がない。

わが国は、連合国との平和条約により朝鮮の独立を承認したのであるが、朝鮮においては、大韓民国政府と朝鮮民主主義人民共和国政府が対立し、いずれも全朝鮮領土、全朝鮮民族を対象としてそれが自己に属すると主張していることは、顕著な事実である。

在日朝鮮人は、日本国連合国の平和条約が最初に効力を発生した日において、日本国籍を喪失したが、法律上いかなる国の国籍を取得したものと解すべきかは、現在までのところ、その点に関するわが国を当事国の一方とする何等の条約も協定も成立していないため、これを公的に定めることはできない。そして、外国人登録事務上の取扱は、「朝鮮」の国号については、原則として従前どおり「朝鮮」の呼称を用いているが、本人の希望によつて「韓国」または「大韓民国」なる呼称を採用してもさしつかえないこととされ(昭和二五年二月二三日民事甲第五五四号通達)ている。しかし、そのいずれを用いたとしても、それは、単なる用語の問題であつて実質的な国籍の問題とは全然関係なく、いずれを用いるかによつて、法律上の取扱を異にするものではないと解せられる。

ところで、外国人登録法第九条、第一〇条は、登録原票の居住地以外の記載事項に変更を生じた場合について規定をもうけているから、登録せられている外国人の国籍に変更があれば、同法条にいう変更登録の問題となる。そして、右国籍の変更があつた場合とは、当該外国人にかかる当事国の法令により、国籍の得喪があつたと解される国際法または国際私法上の効果が発生した場合をいうものであることは明らかである。

したがつて、原告主張のように、単に自己の信条から特定の国を支持し、または支持しなくなつたからとかか、その他自己の一身上の都合から任意に国籍を変更したいと考えたからといつて、それは前記法条にいわゆる変更登録の事由が生じたものとはいい得ないし、また、在日朝鮮人の外国人登録証明書記載の「朝鮮」または「韓国」の表示が前記のとおり便宜のものであることを考えあわせれば、原告がその外国人登録証明書記載の国籍を「韓国」から「朝鮮」に書改めてくれるよう申請しても、被告について法律上その変更義務を生ずるいわれがない。

そうすると、被告の拒否処分については何等違法の問題を生ずる余地がなく、原告の請求は、理由がないから、これを棄却する。

三、よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 森本正 麻植福雄 志水義文)

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